論文ってなんだろう。

私は現在、とあるいなかの大学の博士前期課程に在籍しています。
修士ですので、修論を書かないと卒業できません。
また、同様に学部を卒業する際にも、卒業論文を書かないと卒業できません。


以前から、少し考えていたことがあります。
少子化といえども多くの人が現在大学を卒業しています。
法学部と一部の学部を除き、ほとんどの大学が卒業要件に卒業論文を課しています。
しかし、それらの論文のいくつが世に出されたのだろう、と。

私の卒業した大学では、専攻が3つに分かれており、そのなかで私が専攻していた情報経営・図書館主専攻には、50名の学生が所属していました。

大学院に進学した者が5名程度であった、ということを踏まえても、その中で在学中もしくは卒業後に学会で発表をお行った、という人は、私の知っている限りですが、片手で足りるのではないでしょうか。論文誌への掲載も同様です。

私の大学では、卒業論文は図書館のみから電子的にアクセスが可能な状態で公開されていますが、(おそらく)機関リポジトリ等に卒業論文をアップロードした人はいなかったと思います。

ということは、50件の卒業論文は、ほとんど誰の目にも触れることなく、その役目を終えて行きます。
とはいえ卒業論文ですから、公開するには内容として不十分であると考えられるものもあるかと思います。私はそう思ったので卒業論文を公開していないですし。
ですが、よく先生と話していて、「よい卒業論文なんだけど、論文化するタイミングを逃してしまって…」という話を聞くと、とても残念な気持ちになります。
どんなに良い論文でも、それが論文誌に掲載されていなければ、他の研究で引用することはできません。
ただし多分、機関リポジトリに登録されていれば(多分)大丈夫。
借りに論文等で引用できないにしろ、その研究について知ることができます。



ですが、おそらく、ほとんどの学生が機関リポジトリへの登録について、ハードルが高いと思っているし、機関リポジトリのない大学もあります。

卒業論文の出来不出来もあるので、すべての論文を公開するのは必ずしも正しいと言えないかもしれないけれど、もっと、卒業論文を公開できるような仕組みを整えたらいいのではないかと思いました。
例えば、指導教官が可とした論文については、自動的に機関リポジトリに登録されるようにするとか。



卒業論文はなんのために書くんだろう。
その研究成果は、なんのためにあるんだろう。

1年の歳月を費やして、誰の目にも触れない、ただの紙切れを量産することの悲しさと虚しさについて、
なんとなくもやもやした気持ちを捨て切れません。


査読というほどかっちりしたものではないけれど、ある程度専門科が集まって、掲載の可否を決める形での、OAシステムを作ることは可能なのかしら、ということを少し考えたりしました。